3.11 あれから3年 各務原市 TI コーティング
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3.11 あれから3年 各務原市 TI コーティング

2014年03月11日(火)9:10 PM

東日本大震災からちょうど3年 今日はどのメディアも震災の話題

日本人は熱しやすく冷めやすい文化 被災地では今も大変な状況で先の見えない生活が続いてます

被災者を支えるには風化させないことが一番であります

私は震災1年後に被災地を視察してきました。2年前のことですが今日は主観ですが色々とお伝えしたいと思います

名古屋から飛行機で岩手花巻空港へ入りそこからレンタカーにて回ってきました

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先ず向いましたのは釜石市 空港はかなり内陸にあり1時間半ほど山の中を走りましたが震災の被害のようなことも感じず

住民の方も普段の生活を送っているようでした

釜石市の中心街に入ってからでした。町のあちらこちらに建物の基礎だけの空地や建物の1階の部分がなくなってたり

うわ~ここまで津波が来たのかと思いながらそのまま被害の大きかった大槌町へ

釜石から長いトンネルを抜け大槌町へ入るとそこは別世界

それまではニュースでしか見てなく他国の話しのようで信じることが出来なかった私は目を疑いました

全てが平地の大きな空間 所々に崩れかけてるビルが・・・

空爆でもあったのかのようなもの凄い光景

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住民の方でしょうか1年経った今も途方にくれたように何かを探している方も

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幹線道路は通ることはできましたが一つ道をそれるとまだまだ通ることのできない道

駅のあった場所も橋は全て落ち線路も全て何もなく あるのは大量のガレキ

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ライフラインはほぼ完了しておりましたが、通ることのできる道は限られ建物もお店や自動販売機もがなく

そんな中、唯一復興?不毛の地に芽生えた兆しが

復興食堂です 早速入ってみると特別なメニューでもなく普通の食べ物ですが必死に復活しようとしている姿が嬉しかったです

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大槌町を後に次に向いましたのは大船渡市

海岸沿いを走り南下していくと海沿い道路の橋は全て流され仮設の橋 

海岸沿いを走る三陸鉄道は線路どころか駅舎も流されそこに駅があったなんてとても想像がつきません

そして仮設住宅や仮設の商店街があちらこちらに

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大船渡市へ入り全てが無くなった街を走っていると港でイベントが行われており早速寄ってみました

そこには毎日元気つけるイベントが行われておりボランティアを募るブースも多数

被災地には何が必要なのか?被災地では今こんなことに困ってます。こんなところに人手が欲しいなどテレビでは伝わらないことを実感 

現地では全国から集まった私と同じ青年会議所のメンバーも手伝っており話しを聞くと色々なボランティアを募っており

岐阜の青年会議所OBと伝えると暖かく迎えていただき是非応援お願いしますとお願いされました

街へのボランティア活動を目的としている青年会議所活動(JC)ですがJC魂に火がつきました

そしてさすがJC 先頭に立ち復興活動を盛んに行っており頼もしく感じと同時に地元へ帰ってからメンバーを募り

今度はたとえ1日でももう一度ここへ来て是非ボランティアに参加したいと強く思いました

後に同メンバーが立ち上がりメンバーからや企業・そして市からボランティア参加費を集め地元の中学生を数百人を連れ

ボランティア活動へ参加してきました

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大船渡市を後にし次に向うは陸前高田市

市内に入ってすぐに5階建てのアパートの4階部分まで破壊されており一番被害が大きく感じ

ここも全てがない荒地とガレキの山

世界一ともいわれた堤防も無残に崩れ津波のパワーを実感

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陸前高田といえば1本だけ残った松の木(一本松)海岸沿いに数千本あった松林公園に唯一残り今では観光地化しており

多くの人がボランティアガイドに案内されてました

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陸前高田を後に気仙沼に向うと市内に入ってすぐにド肝を抜かれたのは国道の横に流されてきた大きな船が

こんな光景想像できますでしょうか・・・

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気仙沼港では地盤が沈下し干潮時でもこんな状態、満潮時では今の街の一部が水に漬かるそうです

一体このような土地は一体どうすれば良いのでしょうか・・・

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初日はここで泊まり当然地元の仮設食堂へ

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気仙沼では人口も多くどこも大変賑わっており勢いを感じました

食堂の方と話しをしているととにかく全国から今の状況を見ていただき観光でも良いから沢山きて欲しいと

そして初めて聞いた「震災バブル」という言葉

ここ気仙沼では賑わい勢いがありますが大槌町や人口の少ないところは勢いがいまいちで苦労されてるそうです

今回の視察で感じたことは全てを無くし先の見えない絶望感で普通の生活すらできない状況でも負けることなく前に進もうと必死になっている姿がとても印象的であり、何不自由ない生活している私たちは小さなことでもワガママをいったり

贅沢をしたりとどれだけ恵まれているか

それと大槌町から南三陸町まで約300kmほど走りましたがボランティア活動されている方がほとんど見かけることがありませんでした

同じ日本人が今もこんなにも大変な目に遭っている 何とかしてあげたい しかしあまりにも強大な自然の力には

個人の力など無力 でも何かできるのでは?

震災から3年 完全復興までまだまだ数十年?半世紀以上はかかるでしょう

あの原爆被害した広島・長崎、そして阪神大震災で被害を受けた神戸も今や完全に復興し元気な街になってます

日本人は精神が強く1日も早くいつか必ず復興することを願います

そして私からのお願いです お時間がありましたら同じ日本人として今からでも是非現地へ行って

何かを感じていただけますと幸いです

そしてこの震災を忘れることなく風化させず支援を継続することが一番だと思います



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